馬街十三会

旧正月の13日、とある農村の麦畑に千数百人の芸人が忽然と集結する。

 

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 河南省のほぼ中央、省都鄭州の南南西約120km、許昌の西約70kmに宝豊県がある。その県城の南約8kmのところに馬街という村がある。麦畑の中の周囲3kmにも満たない村である。なんの変哲もないこの村に、毎年旧正月の11日〜13日(今年は2月17〜19日 某氏のお亡くなりになる前でよかったよかった)に七、八百から千数百人の芸人が忽然と集結するのである。これを「馬街書会」「馬街十三会」という。3日間開かれるが、最後の十三日が正会である。そのにぎやかな様子は左の地図下の写真をクリックし、大画面でとくとご覧いただきたい。(jpg 588k)
 なんでまたこの村にそんな妙なことがあるのか? いつごろからあるのか?起源については諸説紛々である。老芸人の追悼や誕生祝い説、芸人の生活苦救済説、雨乞い説、火神廟の廟会説、etc. 詳しいことは後述の新聞の第3面上左の記事をお読みいただきたい。元の延佑年間(1314-1320)から行われているということになっているが、これはちょっと眉唾。しかし、清代中期から続いているということは確実である。かの文革の最中もこっそり続けていたということである。現在では形骸化してはいるが、火神廟を中心としていること、「馬街」という地名から、起源は道教と何かしら関係があると考えられる。(二階堂氏の指摘)
 さて、この芸人の大集会、実は芸人たちのオーディションとなっているのである。中国の伝統行事に「元宵節」というのがある。旧暦の正月15日を中心とした行事で、日本の小正月に少し似ている。農村などでは、この行事の出し物として、各種芸能が上演されるのであるが、その芸人をスカウトする場になっているのである。左の写真のにぎわいは
     芸人+各地農村からのスカウト+一般の見物客  
なのである。
 芸人は農閑期の麦畑のおもいおもいの場所に陣取り勝手に芸を披露し始める。拡声器をセットしてガンガンやるのも多い。この芸の披露のことを「亮芸売書」という。スカウトたちはそれを品定めし、これはと思う芸人と交渉をする。これを「写書」という。交渉がまとまるとその芸人は以後芸を披露しない。つまり最終日まで芸をしている芸人は売れ残りなのだ。この契約はすべて口約束で、トラブルのあったことはないというから驚きだ。もっとも、○○村に来てくれという約束で、芸人がそこへいったら○○村があたりにいくつもあって困ったというような例はあったそうだが。
 一番高い契約金で契約した芸人を「書状元」という。今年の書状元は3000元であった。これは元宵節の3日間、一日2〜3回の公演のギャラである。高額のギャラの払えるところは炭鉱である。
 芸人たちの多くは河南省から集まってくる。もちろん遠路はるばるくる芸人もいる。村に着いた芸人たちは村の各家にホームステイする。書会の開場は村からちょっと離れた麦畑だ。刈り取りの終わった麦畑3〜4平方キロが開場として用意されている。中にはオレの畑に入ってくれるなとロープを張る農民もいる。芸人たちは30代40代が中心だ。今年の最高齢者は79歳、最年少者は7歳であった。この7歳の女の子でも参加回数4回という。多くは業余芸人、つまり農民であって、農閑期にこういった芸で稼ぐのである。一応××曲芸隊とか曲芸団と所属もあるようだが、ほとんど個人経営のようである。芸能の種類には、ご当地芸能の河南墜子のほか、大鼓・大調曲子・琴書・快板書・三弦書・道情・越調・河南曲劇などである。やはり河南墜子が7〜8割と圧倒的多数を占める。これは三弦を伴奏とした語り物である。演目は包公案・海公案・小八義・楊家将・胡家将・隋唐といった公案・演義ものが中心。最近公案ものが増えているのはテレビドラマの影響かもしれない。
 最後にもうひとつ。これだけ大規模な催しであるのに、正式な運営組織というものはない。村人も芸人たちも長年の伝統を継承して毎年これを行っている。この期間にだけ左のような新聞が発刊される。タブロイド判4面。少し読みづらいが全紙面の画像もご覧いただけるようにしておいた。
 このような芸人の大集合はもう一つ山東省で行われているという。最近は中国の研究者も継続的な調査研究を行っている。文献資料を2点挙げておこう。
●“十三馬街会”初考(上)(下)  任騁・張凌怡
   曲芸芸術論叢第1輯第2輯 1981 中国芸術出版社
●歴史留下的回顧  何辛年 1997 河南人民出版社

中国古典小説研究会例会 1997年6月28日
 報告者:岡崎由美(早稲田大学助教授) 

                 文責:笹倉

付記:なお、この馬街書会の模様については、2003年4月5日にNHKBS11『地球に好奇心』で『中国 福を呼ぶ演芸大会』というタイトルで放映されました。